「銀の匙」(中勘助)①

中勘助は現代っ子に近かった!?

「銀の匙」(中勘助)小学館文庫

病弱だった「私」は、
空気の良い山の手に移り住む。
友達をつくろうともしない
内気な「私」をみかねた伯母は、
一緒に遊んでくれそうな
子どもを見つけ、
何度も働きかけてくれた。
やがて「私」はお国ちゃんという
女の子と仲良くなる…。

美しい日本語で綴られた小説を
1つだけ紹介しろといわれれば、
私は迷わず本作品を選びます。
風景が流れ出てくるような
詩的な文体。
芳醇な日本語による精緻な表現。
強い感受性のもとに
的確に表された感情描写。
何度読んでも読み飽きることのない、
味わい深さがあります。
そうした日本語の美しさ、
素晴らしさについては、
おそらくこの作品が誕生してから
約100年間、すでに何度も
言われていることであり、
私ごときがあえて
指摘するまでもないことです。

今回、何度目かの再読で
考えてしまったのは、
子どもである主人公「私」の、
「友だち関係づくり」の未熟さです。
「私」は小学校入学以前、
自ら友だちづくりをした
経験を持っていないのです。

「私」が最も親しく遊んだのは、
入学前後は「お国ちゃん」、
その後は「お惠ちゃん」。
どちらも女の子です。
普通、この年代の子どもであれば、
男の子の名前が
ずらっと出てきそうなものです。

決して男の子と
遊んでいないわけではありません。
しかし、その関係づくりは
やや問題があるように思えます。
その後の経緯を見てみます。
「私」は自分の成績が悪いことに
気が付き、勉強をする。
その結果、主席となり、
同時に身体も成長し、
いわゆる餓鬼大将となる。
その後、二つ年上の子が転校してきて、
その子の力が強かったことから
その座を奪われ、
仲間はずれにされる。
力関係に頼らない、
きちんとした人間関係を
築いていないと、
こういうことは十分起こりえます
(もっともさらにその後、
その子とタイマン勝負で勝ち、
再び大将に返り咲くのですが)。

なぜこのようなことを
指摘したかというと、ここ数年、
こうした子どもたちが
増えてきているからです。
自分から友だち関係を作ろうとしない。
対等な友だち関係を作れない。
同性、もしくは同年齢での
友だち関係を作れない。
人間関係構築能力の
著しく低い子どもたちの割合が
高くなってきているのです。

明治時代の
のどかな小学校の子どもたちが
生き生きと描かれた「銀の匙」。
しかし、それを著した中勘助自体は、
きわめて現代の子どもに
近かったのではないか…などと
余計なことを考えずに、
美しい日本語を堪能しましょう。

※取り上げた小学館文庫版は
 橋本武による解説付き。
 2012年に刊行された小学館文庫版は
 その解説が貴重です。
 なお、私は岩波文庫版と
 角川文庫版も所有しています。

(2019.8.29)

ナンバーさんによる写真ACからの写真

【青空文庫】
「銀の匙」(中勘助)

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